最高の作品づくりに必要なすべてと大いなるゼロ
手元の環境と、自分の能力について
こんにちは
書きたくないこといっぱい書いた。このページはnoindexです。
Yづドン/テクノロジー合同 Advent Calendar 2021
も、この記事で私の担当分の前半は終わります(これは12日目の記事です)。
今回は、私の手元にある創作活動に関わるツール・環境の話と、それに対する自分の現状についてグチャグチャと考えてみようと思います。
何に取り組むにしても、必要なものというのがあります。大抵は、以下のものが必要です。
・実力──言うまでもなく、日頃の努力の積み重ねによって蓄えられるもの
・才能──天性のものもあれば、不断の努力に拠って掘り出されるものもある
・環境──上ふたつを合わせた「能力」を発揮するための場所、時期など
・道具──「能力」を発揮するための手段
・運───結局これ
順番に特に意味はありません。
私の“道具”はこれだ!(ハードウェア)
自作コンピュータ
メインマシン。普段の作業の多くはこのマシンで行う。
Mac Pro (Mid 2010)
サブマシン。OS X・macOSによる作業(DTM、動画編集の一部など)をこのマシンで行う。
EV2760・EV2451
なかなかの品質のモニタ。発色がきれいで、長時間見ていても目が疲れない。
Cintiq 16
液タブ。サブモニタとしても活躍。
UR 22C
オーディオインターフェイス。
私の“道具”はこれだ!(ソフトウェア)
Adobe CC
写真の現像から画像編集、ロゴ作成、イラストの仕上げ、動画編集などなど、コイツに依存しっぱなし。
Adobe CC・CS 6
CCライセンスで使えるため、Mac Proの旧OSで運用していたが、TLS1.1以前のサポート終了によりライセンス処理ができなくなり、使えなくなった。CSを中古で買おうか検討中。
CLIP STUDIO PAINT
絵を描くために必携。Photoshopでもいいけど、イラストに特化しているためかゆいところに手が届く。
Final Cut Studio
動画編集ソフト群。かんたんな編集はPremiere Proで事足りるが、Final Cut Pro 7の圧倒的な操作性と、波形編集(Soundtrack Pro)・モーショングラフィック(Motion)・タイトル作成(LiveType)などの周辺ソフトとの連携がシームレスな点が他に無い魅力。32bitソフトウェアであるため、マシンスペックを活かせずエンコードが遅い!
Logic Pro X
でじたるおーでぃおわーくすてーしょん。DTMはこれ一本でだいたい何でもできる。
Logic Studio
DAWソフト群。動作が軽くて扱いやすいため、デモ作成まではLogic Pro9でやる。
Visual Studio Code/Atom
コイツでコードを書くぜ。OS X Mountain LionにVS Codeは無いからAtomを使うぜ。
ナニモンだよ
って思ったでしょう?お前はどこから来たんだ、お前は何者だ、お前はどこへ向かっているんだ。
悲しいかな、私にもわからない。
さて、私が多岐に渡りすぎる分野に手を出して完全な中途半端マンになっていることは、察して頂けたと思います。
そもそも私は何を目的にあれこれ手を出しているのでしょう。これは恐らく大きく2つの軸があって、
第一に、自分の内の需要を満たすため。
第二に、“自分がつくりたいもの”を形にしていく作業が楽しい
というようなところです。
この記事でここを掘り下げる気はあまりないのですが、私の嗜好と時代の潮流がイマイチ合わず、世の中に溢れているもので満足できなかったり、過去に触れた作品に後ろ髪を引かれつづけたりしているため、消費できる「コンテンツ」がそもそも供給されない(「消費」という表現は好きませんが、敢えてこう書きます)ことから、「無いんだったら作ればいいじゃない!」というノリで取り組んでいる部分が大きいです。そして、「やる以上はできる部分は自分でやりたい」という気持ちも強く、少しずつ手を広げていった結果、こうなってしまいました。
また、私は絵や写真や音楽や映像といった表現方法そのものが好きで、自分の理想に向けて組み立てていく作業、それに伴う試行錯誤を(一定の部分までは)楽しんでいます。
「道具」の重要性
こうした自分の内側から(あるいは外側から)アウトプットしていく作業では、道具の操作性・快適性が作業のクオリティや進捗に大きく影響してきます。
まず大前提として、映像はリアルタイム編集できないと困りますし、DTMではそれが完全な必要条件となります。また、アイデアはできるだけ早く形にしたいですから、それを妨げるような遅延や不具合は、無いに越したことはありません。したがって、十分なマシンスペックとソフトウェアの安定性は言うまでもなく重要なのです。
そして、こうした道具(ツール)は私のいんすぴれーしょんとか、そんな感じのやつを刺激して、実力を引き出してくれるものであることが望ましいです。
前回の記事(TODO:ハイパーリンク)で述べたように、私はAquaインターフェイスそのものが大好きですが、あれに準拠したソフトウェアであるFinal
Cut StudioやLogic Studioは、起動するだけで私をやる気にさせてくれます。
プロフェッショナルでなくても……ないからこそ、より速く、効率的で、高品質なソフトウェアはとても重宝します。
まだ何者でもない
さて、数年がかりになりましたが、制作に必要な道具はほぼ揃った一方で、自分の実力はまだまだ満足できるレベルに達していません。それも当然で、自分が過去に出会った最高の作品を手本に、自分好みのものを再構築しようとしているのですから、一朝一夕で到達できるようなものではないことは分かりきっているわけです。そして、このペースだと自分が作りたいものは一生作れないのではないか、という焦燥にも駆られはじめています。
ただ、私がやろうとしていることは、今までになかった新しいものを生み出そうといったことではなく、過去に実現された偉大な功績に道筋をつけ、はしごを掛けるようなものですから、ここに特別な才能のようなものはあまり必要でなく、そしてこれは完全に自分の中の需要のためだけの試みで、私ではない“誰か”を想定した作業ではないこともポイントです。
外に需要がないのだから、私の実力の有無に関わらず、商業主義の渦に呑まれる可能性は無いといえます。要は仕事にはならんしできないってことだ。
うだうだ書いてますが、やりたいことは決まっていて、できる環境は整ったのだから、あとは実現のために必要な努力をするだけなんですよね。
しかし、こうした制作に関連する知識が増えれば増えるほど、自分が基準としている作品がいかに技術的に優れたものであるか、この先の道のりの果てのなさを思い知らされます。
あと、どの分野もこの成長曲線でいうところのBに入っているため、目に見えた成果が出ないしもどかしいしで何も面白くない。
限りなく灰色へ
恐らく、私は一生自分の作るものに満足できないのだろうという予感があります。だからといってあれこれ手を出したものを辞めることもできないのだろうとも思います(中途半端!)。
そして同じ作業をしていても、自分が作りたいものを作っているときは楽しいのですが、他人から依頼された作業をこなしている時は精神的な苦痛が伴います。これは自分の中でクオリティへの要求値が無限に上がり続けてしまうことも要因のひとつなのですが(妥協が下手である)、やはり「自分のやりたいことではない」というところが大きいのでしょう。
そして、私の「作りたいもの」の方向性が、真に自分の美的感覚や嗜好に基づくものであるのか、自信が持てていません。周囲から「ルネサンス」と表現される、ゼロ年代の特定の時期に回帰しようとする私の(相当程度に“異常”な)行動の一環でしかなかった場合、そしてそれを悟った時、完全に方向性を見失ってしまうのでしょう。
こうした自己問答は常に繰り返していますが、答えは出せていません。
多くの人は、完全に外部からの影響を排した「内的な思考」を持つことは不可能だと思いますし、持てるとしたらそれは「天才」の所業なのでしょうが、少なくともいま自分の中にある意志や情熱を取り敢えず信じて、行動し、価値形成ができるのなら、遠い遠い目標に少しは近づけるのであろうと思います。
そして、その傍らには、この上なく非合理で、それでいて私にとっては限りなく効率的な道具──ハードウェア・ソフトウェア──が必要なのです。